心構えしていたら悲しくないわけではない

祖父が亡くなった。94歳(もしかしたら95かも)の大往生と言える。こんなに人の死に向き合って年月をかけたのは生まれて初めてだ。

 

もう1人の祖父は私が15歳の時に病気で亡くなっており、その病気で衰弱してしまった様子があまりにもいつもの祖父と違っていて最後に会った時あまり目を見て話せなかった。それを私はずっと後悔していた。

 

生きている時できなかったという悔恨の念は死後生きているものが引きずる。そんな当たり前のことがまだ何もわかっていなかった。あまりに子供すぎたんだよね。その当時の私はどうすることもできないその思いを抱えて、どうすればよかったのか、今後どうすれば同じことを繰り返すことなく生きられるのか悩んでいた。

 

そして18歳の私が出した結論は、「生きているうちに会いたい人には会いにいく。」だった。

だから18歳で地元を出てからもコロナが始まるまでは年2回は祖父母に会うために帰ることを決めたし、実行していた。

長年元気にしてくれてたおかげでたくさん会って話せた。大人になったから話してくれたかけてくれた言葉があるよね。東京で頑張ってると思ってくれていることをありがたく思ったな。

 

寡黙で昭和の父親像という感じの祖父が旅立っていった。いつ来ても受け止められるようにと思っていたけれど、連絡が来た時入院していたのも知っていたから「ついに来てしまったか」とお迎えに関して事実を受け止められた。

だけど今、振り返ると涙が止まらない。後悔ではなく、ただこの世からいなくなってしまったという事実がひたすらに悲しい。あなたがいなかったら私は今生きていなかったよ。

 

おじいちゃん、生まれてきてくれて今日まで生きてくれてありがとう。会って話す時間があったこと、幸福に思います。

 

おじいちゃんとの会話で忘れられないのは、「小説はつまらない。だから俺は小説は読まないんだよ」という言葉です。当時、ハリーポッターが大好きだった私はそれがよく理解できなかったけど、大人になるとフィクションを受け入れ難くなる気持ちはわかるなって思います。最後にそれについて今はどう思ってるか聞きたかったな。

 

お葬式なのか、それ以降で会えるのか今はわからないけれど、その時聞かせてね。今まで本当にありがとう。