刹那の感情を抱きしめて、日々

また久しぶりになっちゃった。

2月ぶりだって。

笑っちゃうくらい久しぶり。

 

 

そんな日々が過ぎたのにあいも変わらない日常にほとほと自分で嫌気がさす。

また歳を重ねることになるから、変わるのがもっと難しくなる前に変わらないとね。

大森靖子ちゃんのライブ配信見ながら強く思う。

今日も可愛い。

私のヒーロー。

靖子ちゃん的にはアイドルって言われた方がいいのかもだけど、ヒーローって感じ。

私の中では、救世主なの。 

 

 

 不確かなものを確かにするために

もっともっと欲しがって努力をしたい。

今の感情は刹那で私だけのもので

それがとてつもなく不完全な歪さで

人間くさいな思う。

 

 

"早く人間でないものになりたい。

概念になりたい。"

と常日頃思ってるけどすべてのことは生きてる間の暇つぶしなら絶対に今を楽しんだもの勝ち。

 

 

強がれるうちに、

頑張れるうちに、

楽しむ糧を蓄えていくから、

まだまだたくさん遊ぼうね、人生。

 

今年はじめました。

今年もはじまりましたね。

 

いやはや。

なんだかクズみたく燻っている。

ダメなやつです。

 

 

今年は兎に角新しくなりたい。

細胞に新しい水を与えたい。

そんな年にしたい。

 

 

女は若い方が価値がある。

なんていう男をなぎ倒して生きていきます。

 

 

酔っていてこんな文しか書けません。

ほんとは酔ったふりです。

なんてね。

 

 

今週は日活ポルノ観に行く予定です。

最高でしょ。

恋なんて麻薬かもね。

でも麻薬みたいな恋、したい。

結婚なんか生活だけど、恋は非日常だよね。

欲しいのは安定より刺激だ。

刺激的な濃い想いを飲みくだしたい。

あなたが欲しい。

そんなことを思える今年になったらなんて

毎年思うの。 

馬鹿みたい

ドラマみたいだ

 

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呪縛

 

ブログを書いて日々の備忘録にしようと

思っていたのです、このブログを始めた時には。

 

だがしかし、全然書いてない!!!

なにやってるんだい!!!笑

 

 

 

ただ、年を越す前に実家にいて

ぶつけられた言葉について、

そして今年の最後に考えたことについて

文章で書いておきたくて今に至ります。

 

 

年末ということで帰省して、

昔の私が書いた手紙を見つけたと

親から渡された手紙の内容がとても面白かったんです。

 

 

内容は父宛のものなのですが、 

「ねえ、ぱぱ。ひげはそったほうがいいよ。

   あと、女心をわかったほうがいいよ。」

という内容のものでした。

 

 

それで面白いなあとか言ってたわけですが

その流れでお前は昔は非凡だったのに

今じゃ平凡になったねと言われまして。

言われましても??って感じだし、

両親が凡人なのに私だけ批判とかどうよ?

って感じだったんですけど悔しくて。

  

 

まあ事実だから悔しいんですけどね。

認めてしまえばそういうことで…

 

 

私普通になりたくないって思う普通の人で。

普通コンプレックスなんです。

このくらいで傷つかないくらいの強さを

持ちたいものです。へい笑

 

 

 

そのためにも自分の中でやりたいことやるために

そのために変えなきゃなことたくさんある。

甘いのは承知だから。

ただ強く可愛く図太く強かにをモットーに

来年も頑張るのです。

 

 

我儘に生きなきゃつまらないでしょ?

 

 

 

 

たぶんそれは、

この書いてない期間に
たくさんのことがあって、
目まぐるしくて、猛スピードで
夏を駆け抜けてます。
生きてるなって、最近とても実感します。


私は昔からちょっと変なところがあって、
生きてることを自認することが
苦しみしかなかったので
夏の暑さで茹だるように酸素の薄い車の中で
呼吸をするときに生きていると感じられて
とてつもなく愉悦を感じていました。
そりゃ親から理解されないだろうよ。笑



今回はillionのライブについて
きちんと言語化させようかと思っております。




7月25日 新木場coast
illionとしては初めてのライブ

はっきり言って曲数的にライブ出来るのか?
みたいな出始めのバンドのライブみたいで
そわそわしてた部分があって。
セカオワの漢字表記時代を想起させられたよ。
(これ伝わる人がいるのか??まあ読んでる人いないよね。笑)


PUNPEEさんのDJでRADかけてくれて
ブチ上がる様を見てやっぱりRADファン多いんだなと思って、
改めてとてもillionとRADの違いを見ねばと思わされて。

ライブの内容については
私より詳しく他の人が書いてくれてるだろうから私は割愛。


その実験性みたいなものは
最初にCD聞いた時から感じていて、
予感として彼がRADというバンドという枠でできないこと。
そういうことをやってみたくてうずうずしている
そんな予兆は映画、本っていうフィールドへの
進出を見ていて確実に感じていて。

それをライブで明言したこと。
それが嬉しいだけの感情ではなかったこと。

勿論それがRADWIMPSの終わりだなんて
誰も口にはしてないけれど、
なんとなくあるのかもしれないと
掠める不安はあって。


他のバンドでも特にボーカルが
ソロで活動するなんてありふれているけれど、
それでバンドの終わりが来るなんてないよね?
って気持ちにさせられてしまうのです。

ただ考えたことは
RADWIMPS=4人でどれだけ音楽を拡張していけるのか
illion(野田洋次郎)=野田洋次郎を他者にどれだけ可能性を拡げてもらえるのか

みたいなことなのかなと
ライブを見ながら考えたのです。
批判とかいらないです。
超個人の勝手な意見なので。笑


ただの考えをまとめておきたかったのに
こんなにも時間が経ってから書いてちゃ
ダメだよなと反省。

ただこれだけ時間が経っても書けるのは
私がそれだけRADWIMPSが好きってことなんだよなあって。

今地元にいて、
特に青春時代懐古しちゃうからかもだけど。
私の青春時代の暗黒の中、
私を生きていくことへ
繋ぎ止めてくれていた大きな1つは
絶対的にRADWIMPSの音楽だから。


2016年の夏を今生きられているのは
高校時代の私が生きることを諦めないで
生きることを選んでくれたからだって
ちゃんとわかってるから。
消えてしまいたかった私を繋ぎ止めてくれて
生かしてくれた音楽だから
たぶん一生、









嫌いにならないよ

近況、及び現在

お久しぶりです。
雨音です。


ブログ頑張って1年はやろうみたいな
今年の目標だったはずなのに、
もう1年も折り返しに来たみたいで…


端的に言って
ヤバい!
なにもしてないぜ!!(大きな意味では)


誰も読んでないし興味もないブログを書くために
格安居酒屋で1人で呑んでますよ。
孤独かよ!笑


人間観察がすこぶる面白いから
たまにこうして居酒屋でしかも土日に来るのは
面白いなと思ったよ。
まあ吹き溜まりみたいな土地の居酒屋だからかもだけど、、笑


今年に入って映画をたくさんみるようになった。
まあたくさんって言っても少ないんだけど、

昨日観たディストラクション・ベイビーズ

とてもよかった。


田舎で吹き溜まる気持ちとかどうしようもない衝動を
暴力に変換する様は生きているという
存在証明みたいで痛くて切なくて
なんだか自分を見ているようで
どうしようもなく虚しくなった。


私は不良ではなかったし、
表向きはいい子でいたけど
自分の存在を他者に刻みつけたくて仕方ない気持ちは
痛いほどわかってしまった。
以下ネタバレ含みます。


菅田将暉さん演じる裕也は
典型的に自分を他者より上と位置付けたいタイプだなと。
腰巾着キャラだけど、
本当は狂犬の手綱を取ってるのは
自分だと思いたいタイプ。
自己愛にまみれた自己顕示欲の塊。
自分より弱いものを徹底的に見下すクズ。
小松菜奈さん演じる那奈をいたぶり
道具やゴミのように扱う様は最低だった。
私個人は菅田将暉好きですけど、
最低人間演じていて本当に心から憎める
女の敵というか人間のクズ演じていて
(役者としては最上でしたね。)

那奈の警察への事情聴取も
語りの効果というか
語ることで構築されていく新たな物語感
素晴らしかった。
語るという行為について考えさせられたし
語る時の自己擁護、自己愛について
考えさせられたというか。

あと女の哀しみも、女の強さも
小松菜那という役者が演じてたのが
印象的で。
美しさだけじゃない女優さんで
本当に暴力シーンとかに付随するシーンは
美しさとか可愛らししとかとは無縁なんだけど
語りのシーンではたたひたすらに女で、
ただひたすらに庇護欲を誘う女で
美しくて子悪的だったよね。
docomoのCM思い出しちゃったわ
誘惑してくれ!!笑


あとは村上虹郎さんと柳楽優弥さんの
魂の慟哭みたいな演技、素晴らしかった。
あれはスクリーンで1人で飲み下して
受け止めてほしいものだと思った。

暴力は親への愛とかの
代替え品なのかなとか
兄への愛は孤独と血縁のなせるものかとか
考えてしまったよね。

最後のシーンを見て、私はだけど
(あくまでも個人の意見だけどね)
父親への復讐としての暴力だったのでは、
と思ったよ。


愛して欲しくて愛されたくて
でも愛されなくて歯痒くて。
代償が本物になることはないのに
本物と見まごうほどには現実で、残酷で。


虚無が押し寄せて来ないように
新たな獲物を見つけて暴力に溺れる姿が
なおさら虚しさを深めていて哀しみを誘った。


人間の虚しさを生きる虚しさを
そして全ての行為も思い出も
生きてる間の暇つぶしなのかもしれないなって。

でもどうせ死ぬまで生きるなら
楽しい方がいいに決まってるから。
私は今を謳歌しようと思う。
呑みながらだからポジティブよ!笑


今しかないから
今を抱きしてたまに放り出して
生きてやろうと思います。
2016年の夏、はじまり、、!

ゆとりのゆとりによるゆとりのための正義

「ゆとりですがなにか」

www.ntv.co.jp

今期のドラマの中でも

注目していたドラマです。

 

クドカンさん節、炸裂してテンポ良くて・・・

最高ですね!!!

台詞としては、「ゆとり感じた事ねえから」よりも

「悩みねえ奴は高円寺に来ねえから」がクリーンヒットでした。

 

 

挿入歌の入れ方が飽きがこない感じに入れてきて

うまいなあと(誰目線www

主題歌の「拝啓、いつかの君へ」

www.youtube.com

 

こう耳に残るパッセージを入れ込むセンスが流石で

あと体が動いちゃうリズミカルさは感覚ピエロさんらしさだなあと。

今年売れそうな感じ。ポスト夜ダン的な。

 

MVの田中真琴ちゃんも福田ユリヤちゃんも尊いな・・・

脱線しちゃうので、私の美女採集の話はまた違うところでまとめる予定。

 

作品のふわっとした感想とか主題歌についてとかは

もっと詳しくたくさんの人が語ると思うので私は割愛させて頂いて

ゆとりという爆弾について少し話したいと思います。

 

BGM感覚ピエロさんの「O・P・P・A・I」

www.youtube.com

 

皆さんも音楽に酔いしれながらさらりとゆとり(雨音)の毒吐き読み流してくださいね。

 

 

ゆとり世代って現在の会社での若手~新卒まで網羅しているんですけど、

ドラマ内でも言ってましたが今の29歳から20歳くらいまでを指すみたいです。

ゆとりとは何ぞやという方は以下概要をどうぞ。

dic.nicovideo.jp

 

かく言う私もど真ん中の年齢なんですが、入社した時の空気感的に

ゆるさはあったなと思います(自分で言うなって感じですが、、、笑

 

 

でも、それはどの世代にもある程度あったと思うんです。

学生→社会人っていう空気に誰もがうまく乗れるわけではなくて

学生の空気まとったまま入社して、

それから剥がれ落ちた隙間に組織人っていう鎧纏ってくと思うので。

 

 

でも上司って若者を批判したがるもので・・・

それは自分たちも入社した若手の頃、

上司によく厳しく言われたりしていたからなんでしょうけど。

 

だけれども私は言いたい!!声を大にして言いたいのは、

「打たれ弱い奴昔からいたろーーーーーー

会社すぐ辞めた奴いたろーーーーーーーー」

ってことです。

 

ゆとりってタグができたことで一括りにして批判しやすくなっただけでしょっていう。

妙齢の方々がゆとりという存在ができたことで口撃しやすくなったんだろうなって。

 

人間、自分が良く理解できなものに対してラベル付けして、

魑魅魍魎で摩訶不思議なものをなんとか個別具体的なものとしようとする。

だってわからないものは恐怖だから。

恐怖をなくすためには名称をつけてそれが何者か把握したいと思うから。

 

 

きっと私も私より上の世代も、ゆとり世代以降の世代に対して

社会に出てきた時に今までいなかったような不可思議な若者だと感じるでしょう。

その時、私はせめて彼らをラベル付けして、理解できないものと片付けて、

歩み寄ることを放棄しないでいようと思います。

 

 

こういう違いについて考える時、沢村一樹さんの

「理解できなくてもいいんです。否定しなければ。」

http://axis00.tumblr.com/post/96611980667/tvタックルの話こういう話が出る度に僕は同じことを言ってますが前にnhkでやってた東京カワイイt

axis00.tumblr.com

という言葉をいつも思い浮かべます。

 

 

世代も育った環境も体験してきたことも違う人たちの集団が

会社であり、社会と冠せられたものの実態だと思います。

そこで、他人を否定するのは容易だと思います。

でも、否定からは何も生まれない。

 

だけど、受け入れるっていうのは自分の価値観固まってきてしまっていると

難しいですよね。

だから否定しないっていうのはぎりぎりの選択肢だと思うんです。

ぎりぎりセーフの正義かもしれない。(うまいこと言った??笑

 

まあ受け入れるっていうのが理想ですが、

それができないならば、せめて否定しないで尊重できる人間でありたい。

そういう人が生き残れる社会にしていきたいです。

私が何ができるってわけじゃないけど、

社会全体がそういう風潮になっていったらと思います。

 

 

「ゆとりですがなにか」は今後どう転がっていくか

純粋にドラマ好きとして楽しみです。

そして、今のゆとり批判している世代がゆとり世代以降の世代を

なんと名称付けして批判していくか愉しみです。

そして、せめて私は加担する人間にはならないでいようと思います。

 

最近見た映画

先週、前からずーと見たかった「キャロル」見に行きました。

carol-movie.com

ひたすら美しくて切なくて美しかった。

 

恋とはこんなに美しくて感嘆するものなのかと

恋を久しくしていない私は思った次第だ。

小さな劇場の最後列で観たが、全員が2人の恋に

釘づけの2時間であると感じた。

 

観たかったきっかけは、twiiterで色んな方の

感想を見たからで…

ただまだ考察とか読んでないので

薄い感想で申し訳ないのですが

性別とか国籍とか関係なく

人を愛することは尊いことだということ。

そしてそれを否定する理由は

周りにはないのではないかということだ。

 

子羊と狼の恋。

盲目の子羊と翻弄される狼の図が

ただただ美しくて釘づけにされた。

 

あと美術さんすごいなあと。

小物とか細部に至るまで美しく、

その時代を写していた。

 

女の人が自由に生きられる時代が来るために

私もなにかしたいと日々思いながら引き篭もってる。

 

外に出て語ろう、自分の考えを

 

来週は外に出ます、はい。笑

 

 

あと、今週末は愛のむきだしを見た。

www.phantom-film.jp

園監督作品はそんなに多く見ていないけれど

この人はむきだしの感情を描くのが

うまい人だなと思っている。

 

監督自身が感情を出す人なのだろうし

だからこそ愛される監督なのだろうなと思った。

 

まだすべてを消化しきれていないけれど

愛はある種洗脳である種思いこみで

ある種獰猛なものなのだと言いたいのではないかと思った。

 

私はまだ愛とか恋とか正体不明なものが

掴み切れていないけれど

この人生を使いきってそれを掴むことができたら

生まれた意味もあるものかと思っている。

 

生きているうちに掴み切れる感情のすべてを使いきって生きていきたい。

 

それをこの2本の映画を見て思った。

今度見たい映画は蜜のあはれ

 

耽美な世界でどうぞ私を酔わせてください。

今スパークリングワイン1本でほろ酔いです。笑